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米国は朝鮮侵略戦争の挑発者であり朝鮮半島の平和と安定を破壊する元凶 朝鮮外務省米国研究所報告書

 朝鮮民主主義人民共和国外務省米国研究所は25日、20世紀50年代、米国が挑発した朝鮮侵略戦争の全貌と、今日も核戦争の導火線に火をつけるために狂奔する米国の侵略的正体を再び暴露する研究報告書を発表した。

 朝鮮中央通信が26日伝えた。

 報告書は、1、米国は朝鮮侵略戦争の挑発者、2、米国は朝鮮半島と地域の平和と安定の破壊者―で構成されている。

 米韓と西側は朝鮮戦争を朝鮮が“挑発”したと主張しているが、これは戦争勃発の責任を朝鮮側に擦り付けるための虚偽宣伝で何の根拠もない。報告書は米国こそ戦争挑発の張本人であることを具体的に、詳しく暴露している。

 また朝鮮半島での対立と緊張の原因は米国であり、平和のためには米国の対朝鮮敵対政策の根本的変化が必要である。中東でサウジアラビアの脱米の動きにみられるように、米国の影響を排除することで、アラブ諸国の対立を解消、有効と平和が促進されている。朝鮮半島でも米国が排除することこそ平和のカギになることを直視する必要がある。

 以下に報告書の要旨を紹介する。

 報告書は、米国は朝鮮侵略戦争の挑発者であると強調した。

 19世紀中半期から、アジア大陸の関門である朝鮮半島地域に貪欲の陰険な目をつけてきた米国は第2次世界大戦直後、いわゆる「解放者」「保護者」の仮面をかぶって南朝鮮を不法に占領した。

 かいらい政権の作り上げで南朝鮮地域に親米的な政治的基盤を築いた米国は、朝鮮半島の全体を軍事的に併呑しようとする企図の下、わが共和国を武力で占領するための戦争準備策動に拍車をかけた。

 南朝鮮に反朝鮮侵略戦争遂行のための兵力と武装装備、軍事インフラなどを綿密に備えておいた米国は1950年1月、当時としては最大規模と言える500人で構成された米軍事顧問団を南朝鮮に駐屯させることに関する協定を李承晩かいらい徒党と締結した。

 1949年の初めから米国は、マッカーサー司令部のG2、G3など、情報および作戦部署はもちろん、旧日本軍高級将校で組織された「歴史班」と「カートー」機関まで引き入れて朝鮮侵略戦争挑発計画の作成に本格的に取り掛かった。

 米国は、作戦計画の実効性を検証するために、南朝鮮のかいらい軍を絶えざる武装挑発へ駆り出し、これによって1949年に敵の武装挑発回数はその前年比2.8倍以上のおおよそ2610回余りに達した。

 米国は、38度線一帯に南朝鮮かいらい軍の5個師団、ソウル付近に作戦予備隊の3個師団を前進配置するなど、かいらい軍総力の70%以上を攻撃態勢に移行させた。

 特に、米国は1950年4月末から陸・海・空軍合同訓練の美名の下、空母2隻と巡洋艦2隻、駆逐艦6隻、3つの爆撃機連隊、6つの追撃機連隊、2つの輸送機連隊を日本に引き入れて朝鮮戦争に即時、動員させられるように万端の準備を整えておいた。

 わが共和国に対する侵略戦争準備を完備した米国は1950年6月17日、トルーマンの特使として米国務省顧問ダレスを南朝鮮に派遣して38度線の現地で戦争準備状態を最終確認するようにし、李承晩かいらい逆徒にトルーマンが最終批准した戦争秘密指令を手渡しながら、「北朝鮮が先に侵入したという逆宣伝と同時に、北朝鮮に対する攻撃を断行しろ」という特別指示を下達した。

 米国が作成した戦争挑発シナリオに従って李承晩かいらい逆徒は、御用手段を総動員して1950年6月の初めから実施してきた「非常戒厳令」を6月24日零時から「解除」し、南朝鮮かいらい軍の外出、外泊、休暇を「許容」したというデマ宣伝を大々的に流布させた。

 一方、米大統領トルーマン国務長官エチソン、国務省顧問ダレスをはじめとする行政府の高官が週末休息と旅行、夕食会などに参加し、米極東軍司令官マッカーサーは戦争勃発(ぼっぱつ)当時、寝室で寝ていたかのように世界の世論を欺まんした。

 1950年6月25日、とうとう朝鮮侵略戦争を挑発した米国は3年間の戦争期間、米陸軍の3分の1、米空軍の5分の1、米太平洋艦隊の大部分、そして15の追随国家軍隊と南朝鮮かいらい軍、日本軍国主義者を含む200万余りの膨大な武力を朝鮮戦線に投入し、200億ドル以上の莫大な軍事費を注ぎ込んだ。

 報告書は、米国は朝鮮半島と地域の平和と安定の破壊者であると暴いた

 米国は、朝鮮侵略戦争で喫した恥ずべき惨敗から当然な教訓をくみ取る代わりに、停戦直後から今日に至る70年の長きにわたる期間、朝鮮半島の全体を併呑してアジアと世界の制覇野望をどうしてでも実現しようと対朝鮮敵視政策を執拗(しつよう)に追求している。

 米国は、1950年代末から現在まで、南朝鮮で「防御」や「定例的」という看板の下、各種の戦争演習を行い、原子力空母と原潜、核戦略爆撃機など、膨大な核攻撃手段を大々的に引き込んだし、これによって南朝鮮は米国の移動式核兵器庫に転落した。

 米国は、複数の事件、出来事を意図的につくり上げてわが共和国に対する核威嚇・恐喝の度合いを絶えず拡大してきた。

 米国は、1968年の武装情報収集艦「プエブロ」号事件当時、わが共和国に対する核攻撃を検討したかとすれば、1969年のEC121大型偵察機事件の時は核兵器を搭載した戦術爆撃機を非常待機させたし、1976年の「板門店事件」の時は核兵器を搭載した戦略爆撃機編隊を非武装地帯の近くまで出撃させるなど、反朝鮮核威嚇・恐喝を絶えず強行した。

 1982年、南朝鮮に対する「核の傘」提供を公式化した米国は、2009年にはそれを米本土が核攻撃を受けた時と同じ方式で相手を打撃するという「拡張抑止力」の概念に具体化することで、朝鮮半島有事の際はもちろん、平時も任意の瞬間に膨大な核戦力を南朝鮮に意のままに引き込むことのできる名分をつくり上げ、核威嚇の度合いを極大化した。

 1954年に「フォーカス・レンズ」という名称で始まった米国・南朝鮮合同軍事演習はその後、「ウルチ・フォーカス・レンズ」「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」「ウルチ・フリーダム・シールド」「フォーカス・レティナ」「フリーダム・ボルト」「チーム・スピリット」「連合戦時増援演習」「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」「フリーダム・シールド」というさまざまな名称で衣替えをして、今日に至るほぼ70年間にわたって絶えず強行された。

 米国・南朝鮮合同軍事演習は、その回数と規模においても世界最大の水準で毎年40回以上強行されたし、その参加数は米軍と南朝鮮かいらい軍、追随国家の兵力とかいらい公務員、かいらい企業体のメンバー、米本土から投入された米軍特殊部隊の兵力まで含んでおおよそ50万人を超えたのも、久しい前のことである。

 ホワイトハウスを新しく掌握した現在の米執権勢力は、親米事大に狂った尹錫悦かいらい逆賊一味と結託してわが共和国に対する根深い核先制攻撃企図をいっそう露骨にしている。

 執権後、「精密に調整された実用的な対朝鮮接近法」をうんぬんしてわれわれとの「対話再開」と「外交的関与」を喧伝していた現在の米執権勢力は、わが共和国に対する軍事的敵視企図をためらわずにさらけ出した。

 南朝鮮への各種の武装装備搬入を本格化する中、米国は2021年12月、米国防長官を第53回米国・南朝鮮年例安保協議会の参加を口実に南朝鮮に急派して、かいらい軍部と新しい核戦争計画のための「戦略企画指針」を作成することを謀議した。

 南朝鮮で親米事大に狂った尹錫悦かいらい逆徒の執権後、南朝鮮の全域では米国が操り、指揮する各種の戦争演習がひっきりなしに行われており、演習の規模と範囲、強度、内容は日を追ってより冒険的で無謀な方向へ突っ走っている。

 4年ぶりに大規模機動訓練として再開された「ウルチ・フリーダム・シールド」合同軍事演習は、開城を経由して平壌まで進撃するというごく挑発的で無謀な戦争シナリオに従って強行された。

 この他にも、2022年の一年間だけでも、米国は南朝鮮のかいらいと結託して戦略資産を動員した連合空中訓練、2017年11月以後、初めて原子力空母を動員した空母打撃集団連合訓練、連合海上機動訓練など、各種名目の核戦争演習騒動を毎日のように起こして反朝鮮侵略熱を鼓吹した。

 今年に入って、米国はわが共和国の自主権と安全利益を乱暴に侵害する憂慮すべき敵対行為にいつよりも執着しており、その重大性と危険性はこれ以上、許せない爆発の臨界点に至っている。

 核戦争の導火線に火をつけるための軍事的先行工程として米国は、朝鮮半島とその周辺でわが国家に対する各種の偵察行為に前例なく執着している。

 米国の好戦的妄動によって今、そうでなくても不安定を胚胎(はいたい)している朝鮮半島と北東アジアの軍事的緊張水位は、核戦争勃発(ぼっぱつ)の臨界点に一層近寄っている。

 諸大国の利害関係が絡んでおり、地政学的に重要な位置にある朝鮮半島でいったん戦争が起こると、それは知らぬ間に世界大戦に、世界がかつて知らなかった熱核戦争に拡大するようになっており、これは朝鮮半島と北東アジア地域、ひいては世界の平和と安全に取り返しのつかない最も破局的な結果を招くことになるであろう。

 報告書は、米国の時代錯誤の対朝鮮敵視政策と執拗な軍事的威嚇が根源的に残っている限り、国家の自主権と尊厳、安全を守り、地域の平和と安定を守るための朝鮮民主主義人民共和国の自衛的国防力強化努力はより加速するであろうし、主権国家の正当な自衛権行使は今後も続くであろうと強調した。(了)