最近、金日成総合大学歴史学部の学術研究チームは、ピョンヤン(平壌)市テソン(大城)区域リムフン(林興)洞一帯でこれまで発掘された遺跡・遺物に対する総合的な研究を行って、1~5世紀初までのコグリョ(高句麗)の歴史を解明する上で大きな意義を持つ研究結果を発表した。
「労働新聞」(7.21)はじめ朝鮮のマスコミが報じた。
報道によると、金日成総合大学歴史学部では、チュチェ80(1991)年からチュチェ109(2020)年までの期間にピョンヤン市テソン区域リムフン洞一帯でコグリョ(高句麗)時代の遺跡・遺物を発掘し考証する過程に一世紀初からコグリョがピョンヤンのリムフン洞一帯を重要な地域的拠点とし、ピョンヤン城に遷都して発達した文化を創造したという事実を新しく解明した。
学術研究チームは、同一帯でコグリョ時代の建物旧跡の一部、二つのコグリョ井戸(第一号、第二号)、煉瓦で築造した一個の地下構造物や多くの瓦や土器のかけらなどを発掘した。
コグリョ井戸遺跡は、テソン区域リムフン洞所在地から南の方に約2500メートル離れた所にあり、発掘当時は内部施設だけが基本的に残り井戸壁の上部の一部が破壊されていた。
第一号井戸は、底を小石と砂、泥土で固めた後、一辺の長さが98センチメートル、高さ56センチメートルの正方形の井桁を設置し、その上に四角錐形に加工した石で初めは8角形、次は円形の平面になるように壁を積み上げた。
井戸の中では、石製碁盤、瓦、土器、鉄釜、漆塗り木製壺のかけら、木片など多くの遺物が出土した。
第二号井戸は、底を第一号井戸のように固めた後、直径が100センチメートルの正八角形の井桁を設置し、その上に160センチメートル高さまでは河砂利で、残りは平たい石で井戸壁を積み上げた。
ここからも多くの土器のかけらや泥土でつくった碁盤のかけら、砥石、梳き櫛などが出土した。
リムフン洞一帯では、4個の礎址石のある建物古跡と土を掘ってその中に河砂利を詰め込んだ二つの排水施設と東西の長さが200センチメートル、南北の幅が150~160センチメートル、高さ90センチメートルくらいの地下煉瓦構造物も発掘されたが、その周辺で各種の多くの遺物が収集された。
研究チームは、発掘を通じて当代における高句麗文化の発展振りを新しく解明した。
第一号井戸から初めて発掘された石製碁盤のかけらはコグリョの碁盤であり、世界最初のものに属する19路盤の碁盤であるということと、一本に5個の花点があるコグリョの碁盤がコリョ(高麗)を経て朝鮮封建王朝末まで受け継がれてきたということを解明した。
井戸から地下水を再び濾過したということと洗浄に便利な井桁の使命を解明することによって、コグリョ時代における井戸の水質向上技術も明らかにした。
朝鮮民主主義人民共和国考古学学会は、リムフン洞一帯で調査、発掘されたコグリョ時代の遺跡・遺物が学術上非常に有意義であるということを認め、非常設物質遺産審議評価委員会では遺跡の価値を評価しリムフン(林興)洞コグリョ(高句麗)井戸第一号と二号を保存遺跡として登録した。(了)