朝鮮のトラクター工場で、トラクターの自力製作に成功したのは1958年11月のこと。
戦争で朝鮮を徹底的に破壊した米国は100年たっても復興できないとうそぶき、ソ連は朝鮮の重工業路線に反対して、コメコンの分業体制に従い農業国になることを要求し、支援の条件にした。
自力更生以外に生きる道はなかった。ソ連製トラクターを分解し図面を起こし再度組み立てるリバースエンジニアリングから始めた。当時の技術水準では難解な作業で組み立てなおしたトラクターは前進せず後進した。
金日成主席は、落胆する労働者に、後ろに走ったのなら前にも走るということだ、と元気づけた。
1958年11月、トラクター製作についに成功、翌年からソ連の支援を一切受けずに年間3000台のトラクター生産に至る。
自力更生で制裁に打ち勝つ正面突破の方針。西側では“不可能”と制裁の効果に期待し朝鮮が白旗を掲げることを夢想するが、「国家核戦力」は自力更生のたまもので、禁輸制裁を含めた“史上最大の制裁”も無力化し、制裁はすでに交渉のカードとして機能していない。(了)