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「中・朝・ロ、もう一つの近代化」 ノルウェー・オスロ大学韓国学教授の視点

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韓米連合軍創設記念式典。韓米連合軍なのに国連旗を掲げている。韓米連合軍は国連安保理と何の関係もない

 ノルウェーオスロ国立大朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)韓国学教授の、韓国「ハンギョレ新聞」(2019.5.7)への「中・朝・ロ、もう一つの近代化」と題した寄稿文を以下に紹介する。
 朝鮮半島から遠く離れた北欧ノルウェーから見た朝鮮半島研究者の視点は、朝鮮半島周辺諸国ではあまり見られない斬新さがある。参考になれば幸いだ。(「ハンギョレ新聞」日本語版からの転載。””「」などもすべて原文のまま。中見出しは本サイト編集部)
 
唯我独尊の自慢意識
 中国の自由主義知識人の劉曉波がノーベル平和賞を受賞したのは9年前だ。獄中にいる活動家がノーベル賞を受賞するということはとても破格なことだった。彼が監獄に行った理由は、いわゆる“08憲章”を起草したためだ。彼が賞を受賞すると、ノルウェーの新聞がこの憲章を「中国民主化の宣言文」と言って大きな意味を与えた。私はそれほど重要な文書ならば必ず読まなければと思い、その原本を注意深く読んだ。
 しかし、読み終えた後に私は驚きを隠せなかった。“憲章”は、単純に多党制の導入だけを要求したものではなかった。「財産保護」という項目を別に立て「開放的市場経済制度」の確立と土地私有化まで要求した。土地が私有化されれば、土地を失い流浪民になる農民に対して国家がどのように責任を負うのかに対する明確な説明はその憲章にはなかった。憲章を読んで、劉曉波の寄稿文とインタビュー資料などをあれこれ読み始めたが、「英国植民統治のおかげで成立した」香港の“近代性”を絶賛し、「中国を香港のように文明的なところににしようとするなら、300年間の植民支配が必要だ」という類の発言に接して、さらにもう一度非常に驚いた。
 そして私のブログに彼に関する文を書いてみた。植民地近代化論を支持する新自由主義信奉者であっても監獄に入れることは当然に正しくないが、こういう類の自由主義知識人が万に一つでも中国で執権するならば、今日のような一党独裁よりさらに大きな災難を呼び起こすのではないかという趣旨の文だった。しかし、その文を書いた後に、多くの韓国の進歩的知識人から批判を受けた。なぜ独裁勢力を庇護して民主化人士を非難するのかという要旨の批判だった。
 こうした批判を産んだ論理構造は、韓国社会に蔓延している。この論理は、韓国の歴史を“正常”と規定する一方で、韓国と歴史的軌道が異なる北方の“後進国ら”を“非正常”と見なす。この論理では「韓国のように」多党制代議制を成し遂げることは歴史の正道だ。その反面、そうならない中国や北朝鮮、ロシアのような国は「未だ民主化を成し遂げられない後進国」として扱われる。そしてさらに、中国の共産党、ないしは北朝鮮労働党の統治、あるいはプーチンの官僚統治は「韓国の60~80年代」、すなわち韓国の軍部独裁と同一視される。こうした論理は「民主主義を達成した私たちの成功」と「まだ私たちの軍事独裁のような抑圧を受けている彼らの未成熟」を対照させる唯我独尊の自慢意識に直結する。
 自慢はいつも危険だ。そして、過去をまともに読み出せなければ、未来の予測までも誤らせる危険がある。北朝鮮が「崩壊する」とか、中国やロシアがいつか「私たちのように民主化」できるといった根拠のない仮説は、下手をすると誤った政策判断につながる。事実、北方国家が「私たちのように」なることはない。彼らは私たちとは質的に異なる近代化の道を着実に歩いていくだけだ。
米国の軍事保護領としての韓国の地政学的地位
 韓国と中・朝・ロ間の根源的な差は、“革命”という近代の胎生的事件から始まる。1987年以後の手続き的民主化は、解放直後の革命、すなわち親日勢力の清算とエリート交替の失敗に対する一歩遅れた歴史的“補償”だった。したがって、その限界は明らかだった。米国の軍事保護領としての韓国の地政学的地位や、日帝ないし米国との関係の中で富を蓄積した財閥の私有権を認めない政治勢力は韓国で主流になれない。対米従属関係や財閥の富が脅かされた瞬間、憲政が中断されることは火を見るより明らかだ。そして、強硬右派が執権しようが中道自由主義者が執権しようが、経済政策が財閥の利害関係を最優先視することも、韓国社会の実際的支配者が制限的民主化を許容した一つの条件だった。
 革命が失敗した韓国で、財閥は国家の上に君臨する。反対に革命を体験した北方国家のような場合には、国家が企業を支配する。事実、革命を契機に作られた国家は、当初は企業を必要とさえしなかった。北方国家を産んだ基本的事件である1917年のロシア革命の当初の目標は、世界革命と国家の死滅だった。しかし、この計画はすぐに修正されなければならなかった。ロシアよりはるかに高い生活水準を享有していた欧米圏の労働勢力は、革命と国家の死滅より参政権福祉国家という体制との妥協を望んだことがわかったからだ。
 当初の目標の達成が不可能になると、新たな目標は欧米圏の投資・技術に対する従属を避けることのできる自主的近代化だった。そのような近代化なしには、革命国家は短命に終わらざるを得なかった。自主的近代化は、内部資源の高度な総動員を要求し、市場に代わる国家動員体制の樹立をもたらした。内部資源が豊富なロシアと米・日・韓からの威嚇にさらされていた北朝鮮は、この道を60年近く歩んだ。だが、人口が過密で、農村から取りだして工業に投資できる余剰が少ないうえに、すでに1972年に米国と和親を結んだ中国の場合、内部資源の動員による近代化戦略は30年間で幕を下ろした。この戦略では韓国、日本、台湾などを追撃できないという事実が明らかになる頃、中国の指導部は方向を修正したのだ。中国が1980年代以後に先に発明し、ロシアが2000年代初めから、そして北朝鮮が最近受け入れた新しい戦略は、まさに国家官僚資本主義だ。
 この戦略は、欧米圏の資本・技術導入による韓国のような高速開発をひとまず許容する。ところが、財閥が国家を統制する韓国とは異なり、北方国家の場合には国家が企業を統制する。相当数の戦略的に重要な大企業は、最初から国有として残っている。国民総生産における国有企業の持分は、ロシアでは約40%、中国では約30%程度だ。しかし、私企業であっても国家の指揮・監督を事実上受ける。国家は、党(中国・北朝鮮)や公務員組織(ロシア)を通じて疎外階層に一定程度の身分上昇の機会を提供し、先端部門への集中的な戦略投資を通じて欧米圏との技術格差を克服し、国家主権を死守する。欧米圏からの完全な自主性獲得は不可能であっても、少なくとも主権だけは死守することが、このような体制の究極的存在名分だ。
 北方型国家官僚資本主義と言っても、下からの生存権闘争は一日も休むうことがない。東アジアでストライキ闘争が最も激しいところはまさに中国だ。しかし、例えばロシアの場合には、最も支持を受ける野党はさらに高い水準の国家的経済管理といっそう激しい反米外交を叫ぶ連邦共産党だ。“自主”“主権”のようなイシューで生きてきた社会で、2003年の米国によるイラク侵略まで支持した劉曉波式の論理は、果たして社会的ヘゲモニーを得ることができるだろうか?北方社会の民衆は抵抗をするにしても、その方向は一部の買弁知識人の親米自由主義とは全く違うだろう。そして十分な民族主義的名分を持つ、すでに強化された国家官僚資本主義モデルが“崩壊”したり、その体質が大きく変わることはないだろう。“彼ら”がいつか“私たちのように”なるという自慢まみれの錯覚は、私たちが捨てた方が良い。
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェーオスロ国立大教授・韓国学